Change of Life  

50代の休職体験記

それはトータルできますか

こんにちは、メンタル休職中のぱーそろんです。

今日はギャンブルの話をします。いきなり何だ?とお思いでしょうが、暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。

高校生だったころ、麻雀を覚えて友人と学校帰りに学生街の安い雀荘に通っていました。ぜんぜんキラキラしていない我が青春?です。その後、20代前半にかけてひと通りの公営ギャンブル、競馬・競輪・競艇・オートをやりました(なぜかパチンコにはハマらなかった)。

中でも競馬は結構のめり込んで、WINS(場外馬券場)から始まって競馬場に遊びに行くようになり、それが高じて競馬の旅打ちが趣味となりました。

旅打ちというのは、ギャンブルするのを主目的に旅をすること。札幌、福島、小倉、京都などJRAの競馬場はもとより、笠松(岐阜)、盛岡(岩手)など地方競馬にも色々と行きましたね。今は廃止されてしまった三条(新潟)や宇都宮(栃木)などを訪問できたのはよい思い出です。各地のローカル電車に乗って、地元の名物を食べるのも楽しかったですね。

馬券はまあ、負けたり勝ったり負けたりで、その辺はお察しくださいということなのですが(笑)、学んだこともいろいろあります。例えば

マイナスサムのゲームで長期的に勝つのは無理
公営ギャンブルの期待値は75~80%、宝くじは50%以下。マイナスサムで勝ちたいなら胴元になるしかない。ゲームの本質を見抜かないとカモられる。

幸運で大金が手に入っても調子に乗るとすぐに失う
貴重な1万円も、あぶく銭が100万円入ってくると誤差に感じて散財しがち(感応度逓減性の一種)。また、自分の思考や判断が優れているから儲けたと勘違いをする。

負けを取り返そうとして意気込むとさらに負ける
冷静さを失い、こうあるべき・こうなってほしいという希望的観測のシナリオしか描けなくなる。リスクヘッジができなくなる。

ギャンブルで勝ち続ける人はごく稀にいるが、特殊事例であって再現性はない
種銭と勝負感と度胸を併せ持つ、たまにいる変異種。

そんなわけで、若いうちに「ローリスク・ハイリターンな話などない」「一発逆転を狙うのは無理筋」「自分は博才(ギャンブルの才能)がない凡人である」といった今も生きている教訓を叩き込まれたのはよかったと思っています。

また、旅打ちなんかで遊んでいた仲間の何人かとは、貴重な友人として付き合いが続いています。あのころ費やした時間やお金は、全然無駄ではなかったと思う今日この頃です。

最後に、劇作家で競馬ファンでもあった寺山修司の有名な言葉を。競馬の収支がトータルでどうかと問われた寺山は、こう答えます。

「それでは逆に質問します。あなたの人生はトータルで笑ってますか、泣いてますか?

トータルという視点が野暮なこともある、のです。